LIVE THE LIFE YOU LOVE

人生を豊かにをモットーに

保険とキャリアの共通項

 

先日、ジブラルタ生命さんからお声掛けをいただき、ガイダンスのようなものに参加させていただき、めちゃくちゃ感銘を受けたので、その時にあった話に加え、私なりのキャリアデザイン観をつらつらと書いていきたいと思う。

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1.仕事のやりがいという抽象度の高い言葉と教示

僕の友人には本当に幸福なことに仕事のやりがいを感じている方が多い。

『海外進出戦略を担っていて、本当に難しさを感じながらもまじで楽しいんよね。』

『新規事業が今の全て。これがおれの本当に成し遂げたいことだからこそ、これを成し遂げるためにこの会社にいる。』

『日本だとお金ってあまりいいイメージを持たない、欲の塊のような感覚を持ってる人がいるけど、それが違うって言いたい。もっともっとお金を学べる機会を作りたい』

 

本当に楽しんでる人たちの話を聞いていくと会社ではなく、各々の価値観が根底にあり、人生どんな自分でありたいか、何を成し遂げたいか。などを強く持っている方が多いなと感じている。

 

その人たちの仕事における共通したやりがいとは何か。それが今回ジブラルタ生命『使命感=ミッション』という言葉にあった。

 

もちろん、挑戦をしていきたい、成長をしていきたい、楽しみたいなど様々な価値観を体現していくことは前提として重要である。しかし、その自分のバイタリティーを向かわせるベクトルに『意義=目的』を感じてる。

その意義はなんでもいい。もちろん貢献要素を含ませた『誰のために』というものへ比重を置いてもいいし、可能性要素という『ワクワク感』でもいい。

何かしらのミッションを感じているということはやりがいにおいて、重要なファクターであるということだ。

 

しかし、それを教示してくれる存在は教育課程の中でいただろうか?

確かにやりがいという言葉は抽象的で、せっかく人生楽しい方がいいから、やりがいという言葉はよくわからなくてもみんな大事っておもいそうな心地よい言葉である。

 

この言葉の意味を心から理解することは簡単だろうか?収入がやりがいになってしまう方、評価がやりがいになってしまう方、むしろ所属がやりがいになってしまってる方が存在する。

 

本当にそれがやりがいでいいのだろうか?

もちろん、収入が低いのは嫌だし、評価もされたい。むしろ、社名だけ言ってすごいって言われたい(ここが今一番自分的には遠いw)

けど、それが目的に企業を選んでしまって、本当に仕事にやりがいを。誇りをもてるのだろうか?

 

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2.やりがい課題

 

この問題が起こってしまっている理由はジブラルタ生命では『未経験による価値観の未形成』であると話していた。

確かにそうだなとシンプルに思った。日常経験しているものに関しては僕らは自然とその対象物に対して価値を測るメジャーが存在している。

例えば、焼肉ランチで2000yenなら高いけど、600yenなら安い!というのは私の価値メジャーであるがそれが私の価値基準である。そういった形で日常的に消費活動を行っているからこそ、そのメジャーを各個人が持ち、もちろんそこに一律性は存在しない。個人個人の偏りがあるのが事実である。

 

『物』であればその経験を豊富にしてるからこそ、その判断は個人個人が出来るようになっている。しかし、キャリアはどうだろう?経験を私たちはしているのだろうか?

 

未経験であるからこそ、そのメジャーを私たちは持っていない。価値ある仕事ってなにかと言われた時、全部の仕事が価値あるでしょとか一般論しか言えないのではないだろうか?


『私は』というオリジナリティを前提とした仕事の価値観を説明できる方は少ないのではないだろうか?

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3.使命感が必要である理由

ジブラルタ生命さんでは『存在意義』と『時間』という言葉でそれを説明していた。

結論人間はどれだけ豊かな人生を歩めるか。幸せな人生を歩みたいと願っている。それだけは共通しているのではないだろうか?

 

その観点でいくとこの『時間』がどれだけ豊かで幸せなものであるかが重要であると感じている。

好きな人と一緒に過ごしたい。旅行に行きたい。飲みに行きたい。など全てがその体験を通じた時間が幸せだからこそ、それを選択している。

 

そうなったとき仕事はどうだろうか?お金のためにというプライベートを謳歌するツールを得ることが目的になったり、評価のためにという先にある一瞬の栄光のためになど存在している。もちろん、全てを否定するつもりはない。私自身上記2つは仕事で求める大きな要素である。しかし、もしそれだけだと、、、

 『時間の切り売りになっていないだろうか?』

 

不毛な時間を過ごしている、楽しくない。そんな感覚をずっと抱きながら過ごしている仕事にやりがいを感じるのだろうか?お金がいいからねっていうのは確かに重要であるが、お金とのトレードオフになってることは事実である。

 

であるならば、私たちは豊かな時間を過ごすために何を重要視すべきなのだろうか?

それが『存在意義』という言葉である。

 

スポーツでも同じではないだろうか?野球が好きで始めた部活もその部内から必要とされてない日々が続いたとき、やりがいを感じてただろうか?フィールドからも組織からも必要とされない時間は本当に耐え難い。それほど人間の根底には『存在意義』というものを求めている。

 

であるなら、仕事は課題解決と利益創出であるからこそ、この仕事が『だれのどんなために』繋がっているのかを感じながら仕事をするべきである。

日々自分の存在意義を感じながらできる仕事を幸せに満ちたものではないだろうか?

 

4.今回のガイダンスを終えて

ジブラルタ生命さんの『未経験による価値観の未形成に対した価値観醸成』これが彼らのミッションであると感じた。

正直、私は保険が好きだという結構一般人の中では珍しいタイプの人間だ。

 

しかし、それは2つの辛い過去が関わっており、5000万以上のお金を保険により助けていただき、今の自分がある。だからこそ、私は『経験による価値観形成』がされていたことにある。保険の目的や存在意義を知るというよりもどう扱えばいいかという具体を知りたいタイプである。

 

ただ、世の中はそうではない。保険ってよくわからないからいいや。お金はとりあえず銀行にいれとけばいいんでしょ?僕からすると超もったいない。時間を削り、身を削り得たお金を『活かす』方法を知ることは資本主義社会に身を置き、日常的に生涯消費活動を行う前提にあるからこそ、それは生きる知恵になる。

 

キャリアも同じだ。身を削る、時間を浪費する。その対価としてお金を得るのではなく、命を燃やしていくような熱いパッションに生きていくそんな人生を謳歌しながら対価を得たほうが幸せではないだろうか?

 

ある学生がこんなことを言っていた。

『小さい頃親から言われたんです。悩むことはいいことだって。

悩まず流され、自分の人生を生きれないくらいなら、悩み悩み続け、自分の人生を模索し続けた人生のが楽しいって。だから、ちゃんと大事な時ほど悩みなさいって』

 

僕もそう思う。もっと他人のことではなく、自分の人生に悩み続け、考え続け、行動し続ける。そのためにも『お金』と『キャリア』にはもっともっと悩んで欲しい。